Blog 校長ブログ
2025.01.31
⑦また会う日まで
板宿児童館には1週間滞在させていただきました。寝る場所を提供していただき、本当にありがたかったです。私たちは水道は使わせていただきましたが、お風呂には一週間入っていませんでした。冬ですし、汗臭さは気にならなかったのですが、高校生の代謝は子どものそれと比ではなく、頭皮からの脂でシャワーを浴びたような髪でした(私もです笑)。それをお互いに笑い合ったりしながら、やり切った自分たちに少し満足していました。
別れの時、白髪で長身、とても穏やかな品格のある館長さんが、足が少しお悪いのにもかかわらず、時間をかけて近くのアーケードへ行き、私たちのために肉まんを買って持たせてくれました。ニッコリ笑って「ありがとう」と。今、書いていて泣けますね。思い出します。おふたりの女性の先生たちも「また来てな!」とラブコール。少し年配のお母さんの役周りの先生は私に「あなたのような先生がいることが本当に嬉しいです。」と言ってくださり、きれいなスカーフをくださったのです。嬉しいより申し訳なくて、若かった私は気の利いた返事ができなかったことを今でも後悔しています。再び例のマニュアル大型車に乗り込み、私たちは板宿児童館をあとにしました。
気付けば①から⑦までの連載となりました。30年前のことなのに、自分でもびっくりするくらいスラスラと書けましたし、皆さんに伝えたいと思いました。明らかなのは、私自身にとって忘れられない経験となったことです。支援活動とはそういうものかもしれません。阪神大震災以降も大きな地震が日本を襲いましたし、日本列島の地形的にこの先も地震は必ず起きます。歳を取って今の私は、あの頃と違って、正直、地震と向き合う自信がありません。家が崩れる、家族が亡くなる・・・そんなのもう、生きていけない気がします。生きていけないと思いながらも無意識に生きるのだと思います。生きるってそういうことですかね。読んでいただき、ありがとうございました。