Blog 校長ブログ
2023.06.07
校長メッセージ
小久保さんのお母さんとお兄さん(修11)
この方が小久保さんです。(修2)で少し触れた英数科の平和講演について、今日は深めさせてください。小久保さんは沖縄での地上戦のさ中、わずか1歳でした。ということは、現在78歳くらいだと察します。小久保さんのお母さんは、小久保さんを抱き抱え、小久保さんのお兄さんをおぶって、さらに小久保さんにとっての祖父母を連れ、戦禍をくぐり抜けたそうです。ガマ(防空壕)はどこもいっぱい、やっと入れてもらえたと思っても幼い小久保さんやお兄さんが泣いてしまえば「米兵に見つかるから出ていけ!」と言われ、森の中をさまよい、大きな木の下に家族みんなで団子になって隠れながら、その日その日を「生きた」そうです。やがて行き着いたのは、小久保家の墓の中。琉球文化なのでしょうか、沖縄のお墓は本州のものとは大きく違い、親戚一同集まってその場で法事などを行えるようになっているため、墓石の前がとても広いのです。その墓石の奥にさらにスペースがあり、そこに身を寄せていたそうです。ですが、何も食べるものもなく常に空腹。夜になってお母さんとおじいさんとでそ~っと外に出て、食べられそうなものはなんでも拾ってきて食べたとのこと。
今でこそ「約90日間の地上戦であった」と振り返れますが、当時の戦禍では「いつ終わるのか」なんて知り得ないこと。お母さんは「生きよう」「生きよう」と頑張ってきたのですが、「あぁ、もうダメだ」と諦めたきっかけが米軍の艦砲射撃だったそうです。お母さんは歩みを止め、ブルブル震えながら「いつか自分たちに流れ弾が当たるのだろう」と、その時を待つかのようにうずくまったそうです。そして、ひと通り攻撃が落ち着いた時、小久保さんもお母さんも、おじいさんもおばあさんも奇跡的に無事でした。ただ、お母さんが背中におぶっていた、小久保さんのお兄さん(諭さんと言うそうです)が、ぐったりしていた。お兄さんの命と引き換えにお母さんと小久保さんは生かされたのです。
戦後、大きくなった小久保さんはお母さんにこの話を聞かされ、自分は一生、この体験を背負って生きていくと決意したそうです。そして今、実体験として高校生などに講演してくださる小久保さん。ノンフィクションなので、息を呑んで聞き入ってしまうし、何度も涙が出ました。本当に素晴らしい講演でしたし、「戦争はダメだ」とシンプルに、でも心のとても深いところでそう思いました。小久保さん、ありがとうございました。お元気でいてください。